*2024年8月みどりアートパークにて
-みどりアートパークのホールの印象はありますか?
2年前の9月に緑区民音楽祭新人オーディションの受賞者のコンサートで初めて弾かせていただきました。広さ、会場のつくりがすごく気に入りました。ホールとしての大きさがピアニストがソロで弾くにはちょうどいい大きさで、音が力みすぎずに届き、小さなニュアンスもきちんと伝わる広さです。お客様1人1人のお顔をなんとなく確認できるぐらいの距離感で、私自身が演奏会を楽しめたので、すごくこのホールに対して素敵だな、という気持ちを持ちました。お客さんとのふれ合いの時間やお話ししてお客さんの反応を確認することもできて、このホールでまた演奏会をやりたいなと思いました。
-ピアノアンバサダーのご就任についてはいかがですか?
とても大きなプロジェクトに参加させていただくのが分かってきて、すごく楽しみな気持ちです。一つ一つお客様のことやどういう場を求められているのかとか、相談しながら務めさせていただきたいと思っています。
-三浦市のご出身ですが、緑区とのご縁はどういうところからですか?
大学院を修了してから、演奏機会を自分で開拓していくのはどの演奏者もなかなか難しい部分がある中で、今、神奈川に住んでいるので、横浜で活動できたらいいなあと思っています。ピアノを教えている母が横浜市さんの仕事に携わっていて、母から緑区で演奏会がよく開かれているのを聞いていたこともありました。自分でも調べてみると、やはり緑区さんはよく演奏会をやられているイメージだったので、私としては2年前のオーディションを頑張ってみたいな、という気持ちがありました。
-ピアノを始められたきっかけは、お母さまの影響となりますか?
そうですね。母と祖母が地元の三浦でピアノの先生をやっていて、当たり前にピアノを
弾く環境が家にありました。最初の手ほどきは祖母からでした。
-いつごろからピアニストを志すようになりましたか?
幼稚園の卒園アルバムにピアニストになりたいと書いていたみたいなんです。3歳ぐらいからピアノを始めて、小学校に上がる前からピアノを頑張りたいなという気持ちはあったんだと思います。
-毎日相当練習されていたのですか?
練習時間が増え始めたのは2、3年生ぐらいからです。曲がちょっと大きくなったり、コンクールに出始めたあたりから、周りを見て、自分ももっと頑張りたいなと思うようになりました。高学年のときには平日でも5~6時間やっていました。朝に1時間練習して学校に行って、帰ってきてから寝るまでの時間で4~5時間弾いていたと思います。
-すごいですね。楽しく取り組めていたのでしょうか?
小学校に上がったタイミングから、逗子にお住まいの先生のところに通うようになり、5年生のときに、今もお世話になっている東京音楽大学の武田真理先生に習うようになりました。ご自宅で個人レッスンを受けるようになって、そのあたりから、それまでは楽しくピアノを弾いて、練習でもなんとかうまくなりたいと楽しくやっているところから、楽しいことばかりではなくて、クラシックを学問として極めることの難しさに初めて直面しました。6年生ぐらいのときには、何を目指して練習するのかなあ、みたいな将来に対する悩みも持ちながら練習していました。
-武田先生のご自宅はどちらに?
東京の武蔵小金井にあります。もうちょっと本格的にピアノを習うにはどうしたらいいかというときに、やはり大学で教えていらっしゃる先生ということで、武田真理先生を横浜のヤマハの方に紹介していただきました。
-三浦海岸から通われていたのですか?
片道2時間ぐらいかかっていたと思います。疲れているときは寝ることもありますし、学校の宿題があるときは学校の宿題をやったり、先生から曲にまつわる本ですとか、紹介してもらったものを読んだりしていました。高校に入学するまで、5年間続けました。
-高校は東京音大の附属高校ですね。そのころに進む道を決めたのでしょうか?
音楽専門のところに行くことを考えだしたのが、真理先生に習い始めて1年たった6年生ぐらいのときです。一番悩みました。そこで自分で音楽の高校に行くと決めて、中学の3年間はそのために頑張った、という感じでした。その後は、大学に進んで就職活動の時期になって、大学の中でもピアノはやめて一般の企業に行こうという友人もいました。そのときに自分は本当にこのままでいいのか、と悩むときがありました。ですから、悩んだのは6年生のときと、大学3年生のときの2回ですね。
-ピアニストの道へ進むと決断されたポイントは?
大学卒業のときには、まだ勉強したい気持ちと、自分自身がピアノで本当にやっていけるのかというところを、自分で見極めをしかねていた部分があったので、大学院に進みました。大学院を修了するころにはこの道でやっていきたいという強い気持ちと、ある程度の覚悟ができたので、修了してからはピアノ一本でやらせていただいています。
-自分の中での自信というかセールスポイントができてきたのですね。
ピアノでやっていこうと思えたのは、自分の中で一定の技術にめどが立ったというか、お客様にお聴かせするレベルとして、自分に対する信頼感を持てるようになったからです。自分のセールスポイントといえば、ロシアものの音楽がすごく好きで、長くやってきたので、レパートリーがかなりの数になってきたところがあります。自分の一番の強みの部分として、このロシアものを軸にしっかりやっていきたいなと思っています。
-ロシアものといわれるジャンルとの出会いをさかのぼればいつになりますか?
最初に小学5年生のときに、(マルタ・)アルゲリッチさんの演奏を聴いたところから始まりました。アルゲリッチさんのプロコフィエフの「ピアノソナタ7番」が本当にかっこよくて、聞いたときに衝撃を受けて、こんな演奏ができるようになりたいと強く思うようになりました。それを実は高校受験で弾いたんです。今では小さいお子さんも難曲を弾きますが、そのころは中学生が7番はあまり弾かなかったので、かなりの難曲へのチャレンジでしたが、真理先生が「自分が心から弾きたいと思うものを弾くことが何よりも成長につながる」とおっしゃってくれて、受験曲としてそれを弾くことを許してくださったので、弾きたいという強い気持ちだけで、受験を頑張りました。
-小学5年生のときというと、悩む時期に入る前のころですね。
そうです。そのときにそれを聴いて、なんかこういう曲を弾ける人になりたいと一つ大きな憧れみたいのができました。自分の中では、ここまですごく自分を引っ張ってくれたというか、特に幼少期における自分の中の大きな一曲ですね。結局その後、プロコフィエフのソナタはかなりの回数やっています。やはり入口がプロコフィエフだったというのが、自分が今ロシアものが大好きだというルーツにはなっています。
-ロシアにも何度か行かれましたか?
それが、行ったことがないんです。高校に入ると2人の先生に習うことができるので、私がロシアものが好きだったことから、真理先生が、ロシアものに精通する鈴木弘尚先生を紹介してくださって、そこから鈴木先生にロシアの音楽を学んできました。
-ロシアに行ってみたいですね。
そうですね。広大な土地から生まれる音の深さは、ロシア特有の音なんですね。けっこう皆さん知ってるところでいうと、ラフマニノフの「鐘」。ロシアって時間になると時報で町中に鐘が鳴り響くんですけれども、それをまさに連想させる「鐘」がけっこうテーマになるような曲も多いんですね。そういうものは、やはり生で広大な土地を体感し、鐘を聴いてというところは、いつかやってみたいと思います。
-コンクールでは八潮で最優秀を取られたり、いろんなコンクールに出て行く中で刺激を受けながら自信もついてくるものですか。
コンクールに出る、そこに乗せるために曲を勉強することと、演奏活動として曲を乗せることというのは全然違うものだと思っています。やはりコンクールに乗せる、出す、特に大きなコンクールに出すってなったときの、勉強のし具合というか、弾き込み具合とうのは、やはりちょっと違うものがあります。弾ける時間は人生の中で限られているだろうと思っていて、たぶん一度やめてしまうと、たぶんこの熱量で弾き続けるのは無理だろうと自分で分かっているので、弾くことを許してもらえる環境にいられるうちは、とにかく弾けるものを増やすことと、勉強できるだけ勉強することというのが大事だと思います。
結局、ピアノって定年もないので、これは一生自分が培ったものを、今後は教授したりして、何かを還元していきたいです。次に蓄える量というのは限られていて、年齢的にも体力的にも年々きつくはなっているんですけど、それでもまだ勉強しなきゃいけない曲がたくさんあると思っているので、今はそこを自分にある程度課すような感覚で、それこそ強い覚悟を持ってやっています。
-今はどれぐらい練習をするものですか。
夏にピティナというコンクールを受けていたときは1日8時間。朝3~4時間ぐらい。日中どうしても仕事とかレッスンに行くなどが入ってくるので。完全なオフの日はたぶん時間が分からないぐらいやってます。自分が正味何時間弾いていたか分からないぐらいです。朝起きて寝るまで、その1日しかないという強い気持ちで。それくらいやっています。
-ご自分に厳しくやってますね。さて、10月から当館のホールだけではなくてホワイエでも弾いていただきますし、お祭りでも区役所にも出て、幅広い方々に聴いていただきます。オープンデーではストリートピアノのような企画もあります。
オープンデーは、私たちを聴きに来るというよりは、会場にフラッと来られて、ピアノが好きな方がちょっと弾いている中で、ちょうどタイミングが合ったら私たちの演奏をそのまま聴いていってもらうみたいな感じになりますね。いわゆる皆さんが知っている曲ではショパンの「革命」とか、ベートーベンの「月光」などがいいのかなと思っていますが、長津田祭りではポップスや映画音楽とか入れた方がよさそうな雰囲気なら積極的に入れていこうかなと考えています。コロナ禍のころからずっと配信をやっていますが、そこでは「革命」とか「月光」が喜ばれます。あとは映画音楽とか、ちょっと前だと「鬼滅の刃」もめちゃめちゃ喜ばれました。
-配信はどれくらいやっていますか?
週2、3回で3年ぐらいになります。時期によって全然違うので、全くやってないときもありますが、最近は8月から週2回ずつぐらいという感じです。
-もう慣れたものですね。どんな曲を弾いてますか?
ポップスはけっこう山のように楽譜がある状態で、映画音楽も含めて、その中からなんとなくその日に選んで弾くのと、あとはコンクールがある時期だと自分が弾く曲を織り交ぜながらやっています。だから時期によってクラシックしか弾いてない時期もありますし、ずっとポップスしか弾いてない時期もあります。
-きっかけはコロナ禍で、演奏の機会がなくなったからですか?
ちょうど演奏の動画を皆さんが始めた時期で、自分もたまたま配信をしている会社さんから依頼があったのが最初です。
-お客様がいないところでの演奏は戸惑いもあったのではないですか?
ひとりぼっちな感じがして、なんかすごく孤独感を感じましたが、ありがたいことに割と初期のころからたくさんのリスナーさんが来て、コメントをしてくださいました。コメントがいっぱいあると、人がいっぱいいる状態なので、そこからは孤独感を感じなくなりました。
-コロナ禍が明けても続けていこうとなったわけですね?
そうですね。なんか一つ需要と供給を強く考えるきっかけにもなって、それまではポップスなんか、みたいな雰囲気が強かったのですが、ピアノを聴くのが好きな人がたくさん配信に来てくださるようになると、そういう方々が喜んでくれるものは、こちらが考えているものと全然違ったりすることがあります。その中で、ピアノが好きな人って何を弾いたら喜んでくれるのかなとか、どういう人を見て応援したいと思ってくれるのかな、そういうものをすごく強く考えるきっかけになりました。
-ファンの方も増えてきたのではないですか?
自分を強く応援してくださる方ができたことを意識したのは、昨年のみどりアートパークでの演奏会でした。実はリスナーさんがたくさん来てくださったんです。私たちの畑の方だと、だいたい最後に残ってくださるのですが、リスナーさんは演奏会に行かれたことがない人がたくさんいて、普通に来て私にあいさつすることもなく帰って行ったので、来たことが全然分からなかったのですが、終わった後にアンケートの集計で、私の配信を見て来ました、と書いてくださった方がいっぱいいらっしゃって。それで知りました。フラっと来てくださった方がこれだけいらっしゃったということが、すごくうれしかったです。それも配信を続けるきっかけになりました。
-ファンはありがたいですね。
ありがたいです。クラシックの中の人たちじゃない人たちをなるべく大切にしたいなと思ったので、細く長くでもこれも配信も続けていこうと思ったタイミングでした。
-来年2月の横山先生のレッスン&コンサートの意気込みはどんな感じですか?
緑区民音楽祭新人オーディションのときに横山先生に審査をしていただきました。審査後に横山先生から1人1人、講評をいただきましたが、非常に細やかで丁寧なコメントを全参加者にされていたのが印象に残っています。私自身もすごく温かいコメントをいただきました。素晴らしいピアニストさんであることはもちろん存じ上げておりますが、いつかご一緒できたらみたいな気持ちが芽生えた瞬間だったので、まさかこんなに早く、それもそのきっかけになった緑区さんで、ご一緒させていただける機会をいただけるとは思っていなかったので光栄に思っています。実際にレッスンをしていただけることも、お客様を入れたところで公開という緊張はありますが、その横山先生から直接指導をしていただける機会は本当にこれ以上なく幸運だと本当にありがたく思っています。
-横山先生のコメントは覚えていますか?
私は演奏番号が1番で、最初に出て行って最初に弾いて、まだ空気も暖まる前に弾いた感じだったので、厳しいかなと思いましたが、先生は「1番だったけど、ちゃんと聴こうという気持ちになれたよ」と、演奏番号のことについてのフォローもしてくださいました。シモノフスキーをそのとき弾いて、概ね褒めていただいたのですが、私が弾き方で悩んでいる細かいところを突っ込んで質問させていただいたときに、奏法に関しても丁寧に一つ一つ答えてくださって、すごくありがたかったです。
-今回、具体的にはどんなレッスンにしたいですか?
演奏家として自分がどうありたいかというところを、今ちょうど模索しているところにこのような機会をいただけたので、「献呈」(シューマン/リスト)を弾きたいなという思いがあります。「献呈」は演奏会での定番曲なんです。演奏会で今後、お客様に喜んでもらえる曲として自分のレパートリーにしたいという気持ちがあって「献呈」を選んだので、第一線で長い間ずっとコンサート活動をされている先生に、この曲を今後、レパートリーの一つとしてお客様に常に喜んでいただく視点でアドバイスをいただきたいと思っています。
-そういう機会はなかなかないですか?
ピアノの演奏家として成り立っている方って数えるほどしかないと私は思っていて、横山先生は本当に唯一と言ってもいいような方なので、その方に公開の演奏会の場で、ご指導いただけるのは、2度とないくらいの機会だと思っています。少しでも吸収できたらいいなという気持ちでいます。
-それを経て、3月には3人でコンサートとなりますが、どのような機会にしたいですか?
ヴァイオリンの橘和さんもいらっしゃるので、お客さんの層もさまざまになってくるのかな、と思っています。小田野さんや、吉田さんを聴きに来る方もいらっしゃるので、そういった方々が最後まで一つの演奏会として楽しんでもらえるようにというところを共有できたらいいです。もちろん自分の持っている20分とか25分の時間を、自分の中できれいに完結できるようにともすごく考えていますが、みんなで一つのいい演奏会が作れたらいいのかなというふうには思っています。