インタビュー

【岡部館長が、聞く】みどりピアノ・アンバサダー2024-2025 吉田 翔太さん

*2024年9月みどりアートパークにて

-みどりアートパークのホールの印象は?

音楽教室で教える子どもたちの発表会などで何度か使わせていただき、講師演奏で弾いたことはあります。個人的なソロコンサートなどはないですが、響きがよくて、きれいなホールだと思っています。

-横浜市金沢区のご出身ですが、緑区民音楽祭新人オーディションに出場された理由は何だったのでしょう。

大学(上野学園)に案内が届いていたからです。先生に勧められて出場しました。いくつか受けたうちの一つでしたが、ご縁がこんなに長くなるとは思いませんでした。感謝しています。

-ピアノを始めたのはおいくつのころですか?

5歳のときに始めました。そのころは、幼稚園の体操教室とか、造形教室にも通っていましたが、ピアノはすごく楽しかったです。

-同じ「みどりピアノアンバサダー」の小田野さん、笠井さんはお母さんがピアノの先生という環境で育ったと聞きましたが。

全然違います。両親ともに弾けません。幼稚園にピアノ教室が来ていて、親が習わせようとしたことの一つという感じで始めました。

-ピアノのどこが楽しかったですか?

両親がピアノの曲をいろいろ聞かせてくれて、それを聞いているのがすごくうれしくて、自分でも弾けるのがうれしかったのかな、と思います。今思えば弾けてはいませんでしたが、ぐじゃぐじゃやってるのがうれしいという感じです。教室でも先生は楽しく弾いていればいいよ、みたいな感じだったので。

-ずっと楽しく弾いてきて、将来ピアノを専門的にやると決めたのはいつごろですか?

音楽の高校を目指した中2ぐらいですね。決めてからの1、2年は頑張りました。超特急でという感じです。

-練習しながら、どう変わっていきましたか?

なんとなく自分の中で弾いて、これすごいな、で終わっていたのが、先生からそれだとこの時代にそぐわないとか、演奏スタイルがうんぬんとか言われて、初めのうちは自分の中で混乱しました。今ではクラシックをやる上では、時代背景とか、時代なりのスタイルとかが大事だなとか分かりますが、当時は何で?とか、すごく思っていました。

-先生はずっと同じ先生でしたか?

金沢区の自宅近くの教室から、中学1年生の秋ごろに横須賀の先生に変わりました。そこで基礎力を徹底されました。でも基礎力がついたのを意識できるようになったのは、やっと最近かもしれないです。昔やってきてなかったことが身についてきたのかな、とちょっとずつ感じているところです。

-高校に入ってみていかがでしたか?

最初は大変でしたが、根本は弾いてるのが好きだったので。

-その思いはずっと変わらないわけですね。

そうかもしれないです。同期がすごいなと思いましたが、僕の中では楽しかった、の方が強かったです。

-一貫してピアノは楽しいという感じですね。

まあ、やらなくていいことですからね。自分の中では楽しいとうことが大事だなと思っています。

-吉田さんにとって思い出の曲は

高校生のときに聴いたラフマニノフのコンチェルトがすごく好きです。子どものころだと、ショパンのノクターン9の2とか。すごく好きで、小学3年生のときから弾いています。すごく好きでした。

-10月5日の当館のオープンデーで弾いた曲の選曲の理由は?

「英雄ポロネーゼ」と「バラード1番」を弾きました。両方ともショパンなんですが、2曲ともすごく有名で、どんな方も聴いたことあるのかなと思って選びました。オープンデーと聞き、「英雄」は華やかなので、最初に弾くにはいのかなと思いまして。

-「みどりピアノアンバサダー」として、長津田まつりにも登場していただきますが、地元の方とどんなふれあいの機会をつくりたいですか?

ある程度聞きなじみのある曲を弾き、それを聴いてちょっとでも足を止めてくれたらうれしいです。

-来年3月の「緑でつなぐサンクスコンサート」の4曲はどういう感じで?

1曲目は(2月のレッスン&コンサートで)横山先生に教えていただく曲。あとは、これはあまり親しみやすい曲ではないのかもしれないですけど、「愛の悲しみ」とかは聴いたことがあると思います。スクリャービンとかラフマニノフは、ロシアの人ですごく好きなんです。自分の中では入りやすい曲です。

-笠井さんもロシアが好き、小田野さんはドビュッシーなんですよね。

ラフマニノフのコンチェルトを中学生のときに聴いてすごくあこがれて、それはたぶんピアノを弾いている人ならみんなあこがれる人だと思うんですけど、そこが入りでラフマニノフとかスクリャービン。学内でコンチェルトをやるときにスクリャービンのコンチェルトを弾かせてもらいました。

-ロシアものはどの辺が吉田さんを引き付けますか?

響きの重厚さ。あとメロディーもすごく、ロシアものならではの、ロマンチックというか、切ないというか、魂からのという感じがありますよね。壮大なイメージかもしれない。広いという感じ。

-大学を卒業されて演奏と指導の両輪で活躍されていますが、指導で心がけていることはどんなことですか?

その人が何を求めているかによって変わりますが、共通するのはピアノをきらいになってほしくないということです。ピアノは生きる上で別にやる必要はないことだと思っているので、やらされてとか、本当にイヤイヤ来てたりとか、そうじゃなくしてあげないと、と思っています。

-吉田先生とのレッスンは楽しくてピアノが好きになってという感じですね。

そうです。ピアノは続けていればうまくなると思っているので。

-指導は横浜少年少女合唱団でもなさっていますね。

小3から高2まで60人いますが、メンバーをコロナ禍で3年ぐらい募集できてなくて、ちょっとずつ減ってるんです。合唱団の伴奏はソロとは全然違いますが、やっていることは一緒だと思っています。合唱に限らず伴奏することはありますが、ソロで弾くのも伴奏するのも、やってることは一緒、全部つながっていると思います。いろんなジャンルで弾きたいなあ、と思っています。

-一方で演奏家として目指しているものはなんでしょう?

できるだけ多くの人に聞いていただけたらうれしいですし、いいと思ったものが聴く人に伝わっていくように弾けたらいいなって思います。人前で弾くのは自分の中で大事にしたいというか、続けていきたいです。

-お客様の前は緊張感もありますからね。

緊張はもちろんするんですが、その場を共有できた感覚をずっと忘れないでくださいという思いです。

-ライブ感ですかね。同じ曲でも弾く場所、お客様によって違いますか?

違うと思います。5分でも、一瞬でも、自分のために聴いてくれるのはすごいなと思っています。自分のためというのが一瞬でもあるということが、すごいことだなって思うので。そこを裏切らないようにしたいという気がしています。

-これまで教わった先生の言葉の中で残っているものはありますか?

大学のときに習っていた先生がおっしゃっていた「自分が楽しくないと聴いている人にも伝わらない」という言葉です。曲にはいろんなキャラクターがあって、役者さんの演技もそうですが、なりきって弾くということですね。大事にしています。

-お話を聞いていると、ピアノに向かうのが好きというのが伝わります。

どんな形でも弾けるのがうれしい。

-いいですね。素晴らしいです。小さいころにピアノに会えてよかったですね。

本当にそれは思います。この後もずっと弾けたらなあと思います。両親に感謝です。

-ご両親はここまでの演奏家になるとは、最初は思っていなかったでしょうね?

そうかもしれないですね。ずっとやめてもいいよと言われてたので。弾かないならやめなって。弾かない時期があったわけではないですけど、別に無理にやらせてはないよとは常に言われていました。

-そういう吉田さんの演奏を聴けるのが楽しみですね。改めて3月のコンサートはどういうものにしたいですか?

横山先生のレッスンの成果を出したいなと思います。

-横山先生とはこれまでの接点はありますか?

高校、大学の先生だったので。門下ではないですが、何回かレッスンは受けました。試験のときには演奏を聴いてもらう機会もありましたし、演奏家コースの学生たちを集めて1人1人しゃべってもらうこともありました。

-その中での思い出といえば?

高校に入学前に1回レッスンを見てもらい、横で弾いていただいたのですが、すごすぎてちょっと怖くて手が震えて弾けなくなった記憶があります。そういうことはレッスンではないかもしれないです。横山先生は小学生のときに、地元の金沢公会堂にいらっしゃったんです。クラスの先生がピアノをやってるなら聴きに行けば、とチラシをくれて、それで行って聴いているんです。初めてすごい、かっこいいとな、と思いました。

-それが上野学園に進むきっかけになりましたか?

なりました。だから、今回も横山先生のレッスン&コンサートの話をいただいてすごくうれしかったです。

-ここまで、道の節目節目で横山先生に巡り会う感じですね。今度、お目にかかったときに手が震える経験があったことを伝えたいですね。

先生は僕のことを覚えてないです、きっと。でもすごい楽しみです。どんなことをおっしゃってもらえるのか。

-後半のコンサートでは連弾もしますよ。

すごい光栄なことですし、2度とないと思うので。本当に楽しみで、夢のような感じです。怖いわ、本当に。一番(緊張)すると思いますが、2度とないと思って楽しみたいです。

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